視力と解像度
東方においては、キリスト教は中東・アフリカではイスラームに押されて衰退したものの、東ローマ帝国内では正教会が修道院を西方より早く発展させ、修道院は奉神礼を整備・発展させた。また古典文化もマケドニア朝ルネサンス・パレオロゴス朝ルネサンスにみられるように保存され、文化先進地域として周辺異民族を惹きつけつつ、主に東ヨーロッパへと布教範囲を広げていった。 おまとめローン 近代になると、西欧諸国はアジア・アフリカ・ラテンアメリカなどの各地を侵略して植民地化を推進し、それと平行して西方教会の海外宣教が進んでいく。圧倒的に優勢な軍事支配力や科学技術力、エステサロン その他を背景に、世界各地の西欧文明化とキリスト教化が政教両面での支配が図られた。しかしながら、イスラム教や仏教、ヒンドゥー教など高度に体系化された宗教が浸透していた地域では,キリスト教への改宗は小規模にとどまることが殆どだった。 視力回復 [編集] 近現代におけるキリスト教の展開 宗教改革後の啓蒙時代に入ると、神による啓示を基礎に置いた従来のキリスト教のあり方に疑問が出されるようになる。人格神を否定する理神論から始まり、啓蒙期以降は神を論じることの無意味さを説いた不可知論、ヘッドハンティング 汎神論、あるいは無神論など、それまでのキリスト教神学に収まりきらない思想が展開される。そして、フランス革命などの市民革命によって西ヨーロッパ社会が大きく脱教会化され、民衆のキリスト教離れが進行した。マルクスは「聖書は神聖だが、宗教はアヘン」とする共産主義を標榜し、原始キリスト教と同様の共有を理想に掲げ、キリスト教と競合する社会運動として現れる。キリスト教が社会に対してその影響力を大きく減じていくことになる中で、各宗派がいかに展開してきたかを以下に概観する。 クレジットカード 比較 [編集] カトリック教会の展開 カトリックでは宗教改革に対抗する形で組織強化が行われ(対抗改革)、イエズス会やフランシスコ会などが尖兵となって海外宣教などを積極的に展開した。しかし、世俗社会への影響力は近代を通じて確実に減じて行ったのが実情である。ローマ教皇領はナポレオン1世によって没収され、ウィーン会議で復活するものの普仏戦争で縮小し、1861年のイタリア王国の成立で消滅に至る。1929年のラテラノ条約でバチカン市国が成立しているが、これは象徴的な独立国家でしかない。 カードローン 比較 こうした傾向に危機感を抱き、ローマ教皇への権力集中を唱えるウルトラモンタニズムが勢いを増し、カトリックは反近代指向を強めていった。1846年には啓蒙主義、自由主義、共産主義を排斥するための「誤謬表」(sillabo、シッラボ)を公布し、教皇首位説と教皇不可謬説を公式教義とし、他教派に対して不寛容な態度を取り続けた。さらに第一次世界大戦以降イタリア、ドイツ、スペインなどのファシズムに妥協的または協力的態度を取り、特にスペイン内戦ではフランコ派に協力し、第二次世界大戦ではナチスのユダヤ人虐殺ほかの残虐行為を黙認したとされる。 履歴書 しかし第二次世界大戦後、カトリック教会内部から大規模な改革の必要が叫ばれ、1960年代に至ってヨハネ23世の元で開会した第2バチカン公会議にで現代に生きるカトリック教会の方向性が定められた。その中ではプロテスタントや東方諸教会との対話であるエキュメニズムに加え、他宗教との対話の必要性も唱えられた。また科学と聖書学の尊重、各国語による典礼実施の推進、現代社会との連帯という方向性を確認した。この改革が規模と内容において16世紀の宗教改革にも匹敵することから、「第二の宗教改革」と呼ばれることもある。ガリレオ・ガリレイの宗教裁判の見直しと撤回(1992年)などに、こうしたカトリック教会の過去の過ちを認めて自ら正すという姿勢が見られる。 資産運用 現在もカトリック教会は避妊や妊娠中絶を認めず、時代錯誤だと批判されることも多い。また、司祭の独身制の堅持についても批判されている。特に近年の米国において、カトリック聖職者による性的幼児虐待が多数明るみに出たことで、その歪が批判されている。これに応じて西ヨーロッパでの教勢は全く衰弱し、フランス、イタリアでは日曜礼拝に参加する信者や全くの少数派に転落し、かつては強勢を誇ったスペインやアイルランドでも少数派に転落した。 中南米は、スペイン・ポルトガルの植民地であった関係上、カトリック宣教がもっとも成功した地域であり、信者が減少しつつある現在でも比率は大変に高い。この地域では20世紀になって解放の神学と呼ばれる思想が起こった。これはキリスト教社会主義運動の一形態とみられており、民衆の中での社会運動の実践こそが福音そのものであるという立場を取る。その左翼的側面から中傷されることも多く、カトリック内でも拒否反応を示す聖職者も少なくない。 アジア地域でのカトリック宣教が成功したのは、やはりスペインやポルトガルの植民地であったフィリピンと東チモールであり、その他の地域のカトリック人口はマイナーなものに留まった。例外は大韓民国であり、第2次世界大戦後プロテスタントと共に信徒数が急増している。中国においては1949年に共産党政権が成立すると外国人司教は全て国外に退去し、1951年中国とバチカンは断交した。その後、中国はローマ教皇の任命する司教や司祭を一切認めず、政府公認の中国天主教愛国会のみをカトリック教会として扱うようになり、カトリック信徒を政府のコントロール下においた。だが政府に従わない地下教会が組織化されているとも見られており、この問題については今も中国とローマ教皇庁との間で政治交渉が続いている。 [編集] プロテスタントの展開 プロテスタントではルター派がドイツ北部や北欧に広がり、それとは別にカルヴァンの影響を受けて改革派教会(カルヴァン主義)が大陸で展開した。そしてジョン・ノックスのスコットランドを経由した長老派教会はイギリスやアメリカにも広がった。また、イギリスではイングランド国教会(聖公会)が1534年にカトリックから分離しておりプロテスタントに分類されている。 またアメリカ合衆国では建国以来、信教の自由を保障したことと移民を広く受け入れてきたことからプロテスタント系諸教派が競い合って、多様なキリスト教信仰が展開している。教派を跨る形で大覚醒(Great Awakening)を代表とする信仰復興運動、再臨運動、異言を伴うペンテコステ運動などが起こり、これが新たな教派を形成し、ヨーロッパなどにも波及した。 20世紀初頭、アメリカ合衆国ではドイツに発した自由主義神学の是非を巡ってプロテスタント教派間で教義論争(メイチェン論争など)が行われ、自由主義神学(リベラリズム)を採用する主流各教派(メインライン)と、聖書の無誤無謬を主張した福音主義(ファンダメンタリズム=根本主義など)とに教派が二分された。しばらくの間メインライン(長老派、ルター派、メソジスト、聖公会)は多数派として政治的主導権を有していたがベトナム戦争が膠着化した1970年代頃のカウンターカルチャー(対抗文化運動)の興勢の中で影響を減じて世俗化し、信者は現在減少傾向にある。 その一方で福音派は、ビリー・グラハムに代表される大衆伝道者などが大規模な伝道集会や聖会、テレビなどのメディアで多くの改宗者を獲得し、第四次大覚醒とも呼ばれている。1980年代以降はキリスト教右派と呼ばれる勢力が政治的な影響力を誇るようになった。彼らの多くは創造論を奉じて進化論を『聖書』と矛盾するものとして退ける。また福音派、キリスト教根本主義、キリスト教右派、ローマ・カトリックは社会問題となっている妊娠中絶に反対している。福音派は大宣教命令から、海外布教とりわけ東欧圏・アジア・アフリカなどでの活動にも熱心である。一方、ペンテコステ派のジム・ベーカーなどに見られるように、大衆伝道者が性的スキャンダルを引き起こす例があった。モラル・マジョリティはレーガン大統領の当選に貢献したが、その態度は2008年の共和党大統領候補McCainから"agent of intolerance"として批判された。またMcCainはこのような伝道者による支持表明を拒絶することを余儀なくされた。 このように福音派を中心とする教派は勢力を拡大しているが、アメリカのプロテスタント総体は衰退傾向にある。また、1960年代の公民権運動の頃から、マルコムXなどアフリカ系市民がイスラームへ改宗する運動も少数派ながらも続いている。アメリカにおける近現代史の詳細についてはアメリカ合衆国の現代キリスト教も参照されたい。